第62号 - あの時頭を抱えたけれど、なんとかなったな、と思い直したことはある?
なんとかなったことよりも、「どうにもならなかったこと」の方が圧倒的に多くて。
2025年12月10日(水)
あさ
起きる。いつも項垂れながら起きるのに、今日は数段目覚めがよい。ただ問題なのは、ここから動けないことだ。天井を見つめ、頭上の窓を仰ぐ。枕元の時計は5時過ぎを指す。陽が入るにはまだもう少し時間がかかりそう。少し足をもぞもぞさせる。不可解な動きに、おでこまで布団をかぶっていた妻が顔を出す。起こしてごめんね。まだ半分夢に居そうな顔を見ながら、僕もまた夢を迎える。
こういう日もあっていいよね
「今日は休むこと」と、出店で朝早く出ていく妻から刺された釘にぶら下がって、昼過ぎまで布団の中で過ごす。13時前、カップヌードルをすすったあと、熱い湯を張った船で少しずつ身体の動きを確かめる。風呂上がり、週末にあるブッククラブの課題書『フラニーとズーイ』をベッドに戻って読み進める。ちょうどズーイとベッシー(母)が浴室でやり合う場面だった。二人の壮絶なやりとりが少しずつ遠のいて、気づいたらまたまどろみの中にいる。
荒療治
昨日から整体をやってる友だちが泊まりにきている。わたしは12月はなんだか忙しく、常に頭のなかはやらなきゃいけないことがぐるぐると回っていて、数週間前から頭痛に悩まされていた。 からだを診てもらう。弱っていたわたしは、やさしいケアを期待していたのに、友人は「滞りがすごい」と言って、がしがしわたしの背中を足で踏んだ。痛すぎてひさしぶりに大きな声で叫んだ。荒療治だったけれど、終わってみればなんだか爽快で、気分は軽い。ときには必要な荒療治もあるような気がした。本当に痛かったけれど。
朝|真拓(飯能から)
昼|大雅(秋田から)
晩|文月(松本から)
あの時頭を抱えたけれど、なんとかなったな、と思い直したことはある?
ここに書くのがとても久しぶりな気がするよ。問いが回ってきて、よくこんなめんどうな営みを隔週で続けていたものだと思った。
なんとかなった、と思えるエピソードはいくつかあると思う。だけど、それをここで紹介してみようという気持ちはなぜかあまり起きないな。それよりも、私は「どうにもならなかったこと」の方が圧倒的に多くて。 どうにかしなきゃ、の中にいると生きること自体が苦しくなる。だけど、どうにかしたくなって一生懸命じたばたする。そのじたばたした過程が推進力になっていたということもあると思うんだけど、「これは、どうにもならないなあ」と諦めて、ちがう道を探したりすることも、また大切なんじゃないかと最近は思ったりする。前提を見直してみる、みたいなことなのかもしれない。
私は人に関心があって、人のことをわかりたくて仕方がないと思っているのですが、誰かと健全な関係を築くためには「わかり合えない」という地点に立つことがすごく重要なんだ、ということに最近気がつきました。気がついただけで、全然その地点には立てていないし、俄然わかりたい、わかり合えたらすごくいいな、と思ってるんだけど。
さて、そろそろ今年の終わりも見え始めてきたけれど、あなたが今年見つけた個人的な発見をぜひ教えてほしいな。
書いた人|文月
あとがき
文月ちゃんも書いているけれど、ふつうのニュースレターを配信するのはすごく久しぶりな感じ(実際そう)。何を書くか、はそこまで重要じゃなくて、ただ書く、それを続けること。それが僕らにとっての「取るに足らない大事なこと」なんだと思う。さて、次回はもう今年最後の配信ですね。ちょっとした発表もあるかも?また再来週。(大雅)



