第60号 - 自分の限界をどうやって見定めている?
あんまり見定めてはいないかも、独りじゃないから
2025年10月8日(水)
岸辺としての言葉
今日は朝から取材があって、営業日でもないのに開店準備めいたことをする。写真を撮ってもらい、そのあと話をする。ここ一週間で3件も取材が立て込んだ(重なるときは重なる)のもあって、あーまたこの話してるな、と心で呟く。前に、人から「なぜ」と聞かれてわかりやすく説明していくうちに、本当は部分に過ぎないことが自分にとって真実めいてしまう、というようなことを書いた。けれど、川添いについては、一度きちんと文章にしたことがあるので、それを頼りにできる。いつでも戻ってこれる岸辺としての言葉があるのがうれしい。
秋の空は気持ちよく晴れて
真拓くんのオフィスの引っ越しに向けて、本の在庫を運ぶ。あれ、思ったよりも減ってるなと思いながらせっせと運ぶ。案外あっという間におわる。 ありさちゃんとお昼ご飯を探しながらちょっと歩く。これからのこととかいろいろ話す。来月にはもうここに居ないんだね、不思議な感じがする。ここで「さみしい」とか言わないのが大人なのでしょうか。思ったことをそのまま伝えるのはやさしくない、と去年くらいに知ったけれど、じゃあどうしたらいいのだろうか。大人になってもわからないことばかりで。
変えようとしたから変わるのに
変わる。何もかも変わる。住む土地も家も、働く場所も、車も、iPhoneも。土を掘り返し、現れた根の健康をみては思い悩む。そうやって、自分には珍しく強い気持ちで変化を望んできた一年。変えようとしたから変わるのに、変わる寂しさもあるよなあ。住む家の契約を終えた帰り道の夕焼け驚くほどが赤い。綺麗、とカメラを向けてみたものの、シャッターは切らなかった。
朝|大雅(秋田から)
昼|文月(諏訪から)
夜|真拓(双葉SAから)
自分の限界をどうやって見定めている?
あんまり見定めていないかもしれない(笑)だから「よくやってますね」とか「こんなに広げて大丈夫?」とかよく聞かれる。ちなみにいまは主催のイベント準備真っ最中なのでその渦中にいるね。
でも見定めていない理由は、独りで考えていないからかもしれない。
東京にいたときは、やっぱり自分の能力を、ひいては価値をどう高めるか、ということをけっこう意識していた気がする。それは個人主義がベースにある市場の中で、自らの価値を提示して、上昇していく。そんな流れの中にいたはず。 秋田に来てから最初のころは、その流れから外れてしまったような感覚があって。フリーになって生活に不安があったのもあって、ときたま都市の求人なんかを覗いてはその大丈夫かな、とか思っていた。けれど、風土に抱かれながら、人と関わり合い、流れ着いた先にはまったく想像もしていない景色が広がっていた。移住したての自分に「4年後はこんなことになるよ!」と言っても絶対に信じられなかったであろう今がある。
だから、宇宙空間で独り密室にいる、みたいな特殊な環境じゃない限り、人に限界なんてない気がするんだよね。と言いながらも、独りの能力・技能みたいなものを高めていくうえで壁にぶち当たることも、あるような気がしてくる。
あなたはそんなとき、どうやってその壁を越えた?越えなかったとしたらどうした?
書いた人|大雅
あとがき
共同制作プログラム『ひとりがみんなで本をつくる一ヶ月』、先々週から始まり早くも2週目を迎えました。我々含めて11名がさまざまな対話を重ねています。極めて未知数なこのプログラムですが、オンラインであっても徐々に馴染む雰囲気や深まる気づきに、対面で会える11月を待ち遠しく感じる日々です。今日からぐっと涼しくなりました。読書の秋です、せっかくだしみなさんも読んだり書いたりしましょうよ。(真拓)



