第57号 - 「これでいい」と思ってきたことが、瓦解したのはどんなとき?
これでいいと思う、その気持ちって、言ってしまえば「決めつけ」なのかもしれない。
2025年8月13日(水)
日焼け
窓を開けると少しだけ季節が変わったような気がした。涼やかな風が部屋の中に入ってくる。相変わらず日差しはつよくて痛いくらいだけど、たしかに風の様相が変わった。ベッドの中からなかなか起き上がれなくて、ばたばた足を動かしてみる。ふと足の先を見ると、この夏ずっと履いていたサンダルの形にきれいに日焼けして、跡が残っている。自分の身体なのに把握できていないところがあるの、なぜだか少しうれしくなる。
お盆故にお預け
昼ごはんを食べて、いつもの如くアンバードに食後のコーヒーを飲みにいく。数日前まで雨でやたら涼しかったのに、湿気だけをおいて晴れるものだからなんだかモワッと暑い。日差しの照り返しに目を細めながらアンバードを覗くと、ありえないくらい満席。のぶおさんの苦笑いが見える。そうだった、お盆は人口が1.5倍くらいになるんだった。今日はお預けか。とぼとぼ歩く、その横を道に迷った他県ナンバーがゆっくりと抜き去っていく。
4年目の夏
6時半過ぎにトンネルを抜ける。もう陽は山向こうに落ちて、集落にやわらかい陰ができている。川のせせらぎに虫や鳥の賑やかな声が乗ってやってくる。夏だ。実家でも東京でも、お盆はどこか他人事のように感じていたけれど、秋田に来てからは一年の大切な期間になった。今年も盆踊りがあり、本公演がある。4年目の夏。
朝|文月(松本から)
昼|真拓(諏訪から)
晩|大雅(根子から)
「これでいい」と思ってきたことが、瓦解したのはどんなとき?そこから学んだこと、ある?
瓦解。あまり見慣れない言葉に辞書をひらいてしまった。「(がかい)- 組織や秩序のあるものがばらばらになってだめになってしまうこと」らしい。ばらばらになってだめになる。なんか情緒的な表現を使うなあ。辞書なのに。
今僕が「辞書はこうである」と決めつけたように、世の中には決めつけで溢れている。このあいだお昼ご飯をどこで食べるか決めあぐねていたときに、たまたまGoogleマップに高評価で出てきた親しみやすそうな面構えのハンバーグ屋に行ってみた。店に入ると、ぎこちない素振りで席に案内される。開口一番「アンケートに答えると小さなお土産をあげる」と。ほう、まあ商売なのだからそうなるのもわかる。メニューをひらくと想像の1.5倍から2倍くらいの金額のメニューが並んでいた。さっきの店員は他のお客にもなかなかにたどたどしく、視界に入ってくる。ハンバーグは旨かった。けれど、あのとき自分の中のなにかがたしかに瓦解したなあ。
まず、この面構えならこのくらいの金額でしょう、という決めつけ。そしてこの金額ならこのくらいのサービスだろう、という決めつけ。この胸焼けはさっきのハンバーグか、自分の中の決めつけの見苦しさに対してか…。
これでいいと思う、その気持ちって、言ってしまえば「決めつけ」なのかもしれない。井の中の蛙であり続けられれば、それはそれで心地よいのかもしれない。けれど自分も時代変化していく中で、そうは行かない。それをキツイと捉えるか、可能性と捉えるか。自分の決めつけが瓦解するような状況に身を置けることと、瓦解をいとわない心持ちが、生活ひいては人生を面白くしてくれるのだろう。
にしても、自分の貼っているレッテルや冒涜とも言える決めつけに、時々ゾッとして落ち込むんだよなあ。気づけただけで丸儲けではあるけれど。みんなは、結果として生活が楽しく、面白くなった少しショックな出来事ってある?
書いた人|真拓
あとがき
しばらく東北に行っていて、秋田の「川添い」にも行ってきました。「川添い」は、こんなところに本当に店があるの?と思ってしまうような場所にあって、お店を営んでいるふたりも自分たちでそのことをおもしろがっている感じがしてよかったなあ。
福島と、岩手と秋田に行って、いろいろなものを見て、人に会って、また何かを考えながら戻ってきました。東北から戻ったら少しだけ暑さが和らいだような気がしたけど、どうだろう。 みなさま、まだ続く夏をいかがお過ごしでしょうか?(文月)



